植物の力
おばさんが、山形から山菜を送ってくれた。
コシアブラ、タラの芽、こごみ、うど、あいこ、笹巻きもある。
でも、いちばん嬉しかったのは、写真だった。
封筒の中に入れられていた写真には、桜の木が写っている。
わたしにはもう、実家がない。
生まれ、育った家は、跡形もなくなって駐車場になっている。
わたしの実家は、おばにとっての実家でもある。
おばの方が、より多くの思い出を持っているかもしれない。
実家に、毎年春になると咲く、桜の木があった。
その木の下で、よくおままごとをして遊んだ。
金魚や小鳥が死ぬと、その木の根元にお墓を作って弔った。
わたしが親元を離れてからは、母が、まだ寒い時期に桜の枝を切って、新聞紙に包んで送ってくれた。
温かい場所に活けておくと、硬い蕾が少しずつ膨らんで、一足早く花を咲かせた。
実家の建物がなくなることは仕方ないとしても、その桜の木が切られてしまうことが、心苦しかった。
だから、旅行者として山形を訪れると、実家のあった場所の前を通る時は、いつも、さーっとなるべく見ないようにしていたのだ。
おばも、同じだったらしい。
「悲しくなるから、行かないようにしていた」と言っていた。
だから、桜の木が残っていることを、わたしもおばも知らなかった。
写真は実家にあった桜の木で、わたしと同い年の従兄弟がこの春撮ったものだという。
植物ってすごいなぁ。
実家の建物がなくなってせいせいしました、とばかりに、思いっきり空に向かって枝葉を広げている。
記憶にあるより、数段大きい。
石垣の向こうまで、自由気ままに伸び伸びと花を咲かせている。
「もう一本、木が見えるの、わかる?」と電話口でおばが言った。
言われてみれば、桜の木の奥の方に、斜めの幹が伸びている。
「それはね、枇杷なんだって。その辺に、よく生ゴミとか捨ててたでしょ。そこに捨てられた枇杷の種から芽がでて、根付いたみたいなの」
そうそう、確かに実家には枇杷の木と柿の木もあった。
でも、枇杷と柿に関しては、建物の取り壊しといっしょに切り倒されてしまっていた。
だけど、親の枇杷はなくなっても、こうして命が繋がれていたのだ。
おばと電話で話しながら、わたしは涙が止まらなくなった。
いつか、おばといっしょに満開の桜を見られる日が来るといいと思った。
おそらく、おばはこの一年、一歩も外に出ていないのだろう。
もともと病気で倒れて家にこもりがちになっていたのが、コロナで、ますます家から出られなくなった。
その影響が、おばの声に如実に現れていて、切なくなる。
母は亡くなってしまったけれど、そのことでおばとは再び交流できるようになったし、実家の建物は取り壊されたけど、桜の木は今年も盛大に花を咲かせている。
それでいいんだな、と思う。
永遠なんて、ないんだし。
3枚の桜の木の写真を見ながら、すとんと納得した。
ところで、オリンピック、まだやるつもりでいるのだろうか?
コロナで人々がこれだけ悲鳴をあげている状況で、日常生活もままならないというのに、オリンピックを開催するというのが、わたしにはどうしても賢い判断に思えないのだけど。
77日後にオリンピック??? ありえないし、オールジャパンって、何ですか???
挙国一致で敵に向かえば、自分たちは特別な国民だから、神風が吹いてコロナを吹き飛ばしてくれるとでも、本気の本気で信じているのだろうか?
それって、愚かな過ちを犯した八十年近く前の日本と、何も成長していないということになる。
恐ろしすぎて、言葉も出ない。
今やらなければいけないことをきちんとやって、冷静に、正しい判断をしてほしい。
判断を伸ばせば伸ばすほど、被る代償はますます大きくなる。
誰のためのオリンピックなのか?
おばの弱々しい声を電話口で聞きながら、わたしは憤る気持ちを抑えることができなかった。
ここは、スパッと潔く、英断していただきたい。
先日届いたセリの根っこを、ボウルに水を張ってベランダに出しておいたら、またかわいい芽が伸びてきた!