がくぶち

里暮らし、再開。
山小屋と較べて、部屋の外は暖かいように感じるけれど、部屋の中は逆に寒いように感じる。

先日、ある地方自治体に寄付をした。
子ども食堂の運営資金に使う、とあったので。
日本という、世界から見たら経済的には恵まれているとされる国に生まれて、それでも明日食べるものにも困っている人たちがいるという現実に胸が痛くなる。
ある所では、食べ物が消費しきれずに廃棄されているというのに。

選挙で一票を投じ、自分の理想とする政党が与党となり、社会が変わる、というのを夢見ていたら、きっと命は尽きるだろう。
というのが、最近の正直な気持ちだったりする。
だったら、なるべく有効にお金を使ってもらえるように、自分で使い道を選んで、寄付をした方が気分がいい。

そんなことを思ってその地方自治体に寄付をしたのだが、後日、額縁が届いた。
大きな段ボールが届き、何? と思ったら、品名に「がくぶち」とある。
送り主は、寄付をした地方自治体のふるさと創生課。
額縁には、ご丁寧に市長からの感謝状が入っていた。

いらない。
心の底の底の底の底から、本当に嘘偽りなく、いらない。
受領証だけで結構だ。
額縁がいくらするのか知らないけれど、こんなことにお金をかけるんだったら、一食分でも、お腹を空かせて困っている人にお弁当なりおにぎりなりを届けて欲しいと切実に思った。

もちろん、感謝状をもらって、喜ぶ人もいるのかもしれないけれど。
なんだかこれって、私からするとものすごく無駄な気がした。
額縁より、食料を優先して欲しかった。
お気持ちだけで、十分。

いただいても飾らないし、ただ無駄になるだけなので、その旨をその自治体の担当者に電話で伝えたら、不要でしたら処分してください、と言われた。
けれど、それはそれで面倒だし、第一額縁がもったいないので、失礼を承知で、送り主に返送させていただいた。
額縁だけでも、再利用してほしいと思ったので。

ドイツで感心したことのひとつは、寄付文化が根付いていることだった。
ドイツは、犬や猫などの殺処分がゼロだが、それは各地にティアハイムという、動物の保護施設があって、そこが受け皿になっているから。
ティアハイムは民間で、寄付によって運営されている。
私も一度、ベルリン郊外のティアハイムを見学に行ったけれど、そこはものすごく設備が充実していて、たとえ新たな飼い主に巡り合えない動物たちも、愛情に恵まれた環境で生涯を終えることが約束されている。

自分では飼えないけれど、その犬や猫のサポーターになりたいという場合は、その子の月々の餌代をサポートしたりと、そういう小さなことからでも貢献できることが素晴らしいと思った。

税金も、納得できる使われ方をしているのであれば喜んで払う。
でも、まだ評価の定まらない一政治家の国葬に使ったり、軽率な言動を繰り返す政治家の高額な給料になったり、なんだかなぁ、とため息の出ることばかりなのだ。
もっとこっちにお金を使ってほしいのに、そっちに使って、結果、無駄になったり。
そういう様子を見聞きするたびに、それは血税なんですけど! と言いたくなる。
血税なのだから、一円だって無駄にせず、有効に使ってほしい。
あなたに差し上げたわけではなく、あなたに託して預けただけだということを忘れないでいてほしい。

話は変わるが、サッカーの日本代表が、快挙を遂げている。
私は、三試合とも見ていない。
私が見ない方が勝ちそうなので、次も見ないでおこうと思う。
ただ、心の中で、密かに声援を送っている。

がくぶちを送り返す私も、サッカーW杯のパブリックビューイングを拒否するドイツ国民も、意固地だと言われれば確かにそうなのかもしれない。
けれど、こういう意見もある、ということを自らの行動で示さなければ、相手には何も伝わらず、そのことが流されてしまう。
だから、声を上げることは大事かと。