養生
四日間、穂高の山の中で時間を過ごした。
ベルリンから慌てて帰国したのが三月の終わり、二週間の自宅待機が終わった矢先に外出自粛が始まって、そのまま夏を迎えた。
本当は真夏に行ければよかったのだけど、色々と家にいなくてはいけない事情もあり、ようやく秋を迎える頃、穂高に行くことができた。
目的は、ずばり「養生」で、とにかく心と体を休めたかった。
もうそろそろ、みなさん、疲れが出ている頃だと思う。
いきなり、非日常の世界に突き落とされ、なんとかかんとか、時に自分を騙しながら非日常に順応する努力を積み重ねてきた。
日常生活や価値観など、様々なことが反転したのに、大丈夫、まだ頑張れる、と平気なフリを貫いて、自分よりも周りに気を使って生活をしてきた人も多いと思う。
夏も、暑かったし。
乗り切らなくちゃいけないことが、次から次へとわんこそばみたいに目の前に出された印象だ。
でもそろそろこの辺で休んでおかないと、心も体も参ってしまう。
そうなる前に、穂高に行こうと思ったのだ。
リトリートが目的の宿は、朝に、散歩かヨガのプログラムがあり、食事は午前10時半と午後5時半の一日二回。
わが家の食事スタイルとほぼ一緒だ。
出されるのは玄米菜食で、これが素晴らしく美味しい。
厨房には、4、5人の若い女の子たちが働いていて、その子たちが交代で一日ずつ献立を決めて料理を出してくれる。
毎回食事のたびに、その日のリーダー(?)が料理の説明をしてくれるのだが、本当に丁寧に、季節の食材を無駄にすることなく調理していることが伝わってきた。
食事のお盆だけ見ると、なんだか物足りないように見えるけれど、玄米自体にパワーがあるので、お肉もお魚も食べなくても、野菜だけで十分お腹が満たされる。
毎回、ご飯の量をどうしますか? と質問され、宿泊客はそれぞれ、普通、とか、半々、とか、大盛り、とかその時の自分の体の声を聞いて玄米をよそってもらう。
食事中に自己紹介を、みたいなお節介が無いことも、居心地が良かった。
みんなさんそれぞれ、静かに自分と向き合うためにこの場所を選んで来ている。
その、ほったらかし加減が、いい。
チェックアウトの際にシーツ類を自分で剥がしたり、食べた後の食器は各自が自分で洗ったり、そういうのも、時には大事だなぁ、と痛感した。
ここ最近は特に、きれいな水を欲している。
とにかく、清らかな水のそばに行きたくて行きたくて仕方がない。
そういう水辺にいるだけで、心の中がスーッとして、心身が癒される。
宿のそばにも、とてもいいプライベートビーチ(河原)があった。
北アルプスから流れてくる水は本当にきれいで、水そのものが宝石みたいに輝いている。
この場所で、思う存分、時間を過ごした。
冷たい水で、魂の丸洗いをしている気分だった。
最終日、有明山神社の近くの山をテクテク歩いた。
安曇野にくるたびに感じるけれど、本当にいい気が流れている。
水と空気は、わたし達が生きていく上で、必要不可欠なもの。
なんとなく、当たり前すぎて後回しになっていたけれど、ふと、おいしいものを食べたり素敵な服を着たりすることより、水と空気にこだわることの方が、もっともっと大事なんじゃないかと思った。
道祖神の並ぶ山道の奥に、とりわけ気持ちのいい場所を見つけ、シートを広げて瞑想をしてみた。
これから先の人生を、自分はどう生きたいのか。
磁場が安定しない場所に行くと、方位磁石の針が定まらずにぐるぐると回ってしまうけど、わたしはしばらく、その状態が続いていた。
昨日考えていたことと今日こうしようと思うことが、全然違ったり。
そして、明日どうなるのかも、自分で予測がつけられなかった。
今もまだ、くるくるしている。
だけど、その場所で瞑想していたら、だんだん心の中に大きな重石が降りてくるような感覚があった。
目の前に、なんとも神々しい巨石があり、そこに降り注ぐ光が美して、なんだか幸せな気持ちになる。
と、そこまでは良かったのだけど、ふと視線を感じて後ろを向いたら、猿たちに囲まれていた。
五、六頭の集団で、一頭が片手に栗の実を持っている。
猿自体は、宿の庭でも大騒ぎしていたし、この場所に来る途中でも何度か会っていた。
でも、こんなに距離が近いのは、初めてだ。
えーっと、目を合わせちゃいけないんだったよな。
と思いながら、どうしたものかと途方に暮れる。
この猿たち全員にかかってこられたら、わたしは明らかに負ける。
猿に食べられてしまうのだろうか、などと不安になった。
猿は、栗を拾いたかったのだ。
わたしがシートを広げて瞑想していた場所は、ちょうど栗の木の下で、よく見るとあちこちに栗のイガが落ちている。
猿たちは、この栗のイガを道路に置き、それを車に轢かせて実を食べるのだ。
とにかくじっとしていたら、猿たちがまた別の場所に移動してくれたので、助かった。
やれやれ。
猿と格闘せずに済んで、良かった!
清らかな水とおいしい空気に癒されて、励まされて、心も体もすっかり元気になった。
知らず知らずのうちに、自分は疲れていたのかもしれない。
最後の食事は、外のテーブルで、山を見ながら堪能した。
土の香りが、懐かしく胸に響いた。
帰りは、自転車で一気に山を下りる。