鍋焼きうどん
お正月の3日が過ぎたら、速やかに道具類を片付け、通常モードへ。
今年は、たっぷりと日本のお正月を満喫した。
おせちは、いつもの三種類(黒豆、伊達巻、五目なます)の他、数の子、酢蛸、ニシン、コハダなどをちょこちょこと準備。
わりと早めに取り掛かったので、特に髪を振り乱すこともなく、味も、今まででもっとも安定していたかもしれない。
それに今年は、初めてよそのおせちも頼んでみた。
ちょうど二人分というのがあり、プロのおせちがどんなものか、興味があったので。
これがまた、すばらしかった。
山形のおせちらしく、山菜やら、鯉のことこと煮やらが入っていて、誰かが作ってくれるおせちは美味しいものだなぁ、と実感。
いつもはお客様がいらっしゃるのだけど、今年はコロナでお客様もお見えにならないし、おもてなしのことを考えなくていい分、気持ち的にはずいぶん楽だった。
時間に余裕がある分、韓国映画を見て楽しんだ。
お雑煮も、関東風の他、白味噌を使った京風のも堪能し、おもちの量もちょうどよかった。
思ったけど、おせちって、もっと食べたいな、というくらいで終わるのが理想かもしれない。
その点でいうと、今年はまさにそんな感じで、まだおせちあるの〜、という雰囲気にならなかったのがよかった。
多分、おせちを一気にたくさん作ろうとするから、飽きるのだ。
そのことに気づいて、今年は、なんとなく旧暦のお正月までをざっくり「お正月」扱いにし、週末ごとに、まだ作っていないおせちを作ってみようと目論んでいる。
そうすれば、無駄にすることもないし、飽きてしまうこともない。
それでも残ったおせちは、鍋焼きうどんにしてしまう。
土鍋に、うどんの他、蒲鉾とかなるととか鶏肉とか、場合によっては昆布巻きとか、とにかく冷蔵庫に余っているおせちを入れて、グツグツと火にかけるだけ。
これをすると、お正月も終わって、普段の暮らしに戻ったことを実感する。
体もあったまるし。
寒い夜の鍋焼きうどんほど幸せなものはない。
そうそう、山形のおせちを食べて思い出したけれど、数の子といえば、必ず枝豆と一緒に出汁につけたのが定番だった。
数の子と枝豆って、とても相性がいい。
子どもの頃はそれが当たり前だと思っていたけど、大人になったら、数の子だけを出汁に浸して食べる方が主流になり、いつしか、数の子と枝豆のコンビを忘れていた。
でも、山形のおせちにそれが入っているのを見て、そうだったそうだったと思い出し、もっとむしゃむしゃ食べたくなって、さっそくスーパーで秘伝豆を見つけ、残っていた数の子と抱き合わせた。
これは、日本酒のいいアテになる。
一年に一度、お正月にだけ使うハレの器で、ハレの料理をいただくと、心が改まっていいものだなぁ。
一年のうちたった三日ほどしか使わない器なんて勿体無い気もするけれど。
また来年会えることを楽しみにしている。