火星に行く

新聞に載っていた辻仁成さんの寄稿がずしんと胸に響いた。

辻さんは、シングルファーザーとして息子さんを育てながら、パリに暮らしている。

思えば、パリは災難続きだ。

テロがあって、ノートル・ダム大聖堂の火災があって、黄色いベスト運動がフランス全土で起き、そして昨年末からは公共交通機関の大規模ストライキ。その間、パリっ子たちは、徒歩で学校や職場へ通うのを余儀なくされた。

もう疲れてヘトヘトだっただろうに、更に新型コロナウィルスの脅威が追い討ちをかける。

ハグやキスで親密な愛情を表現したり、カフェで週末の長い朝食を楽しんだり、家族や友人とレストランで食事を共にしたりという、誰もが当たり前と信じていた日常の営みがことごとく手のひらから奪われた。

それでも、辻さん父子の関係には、崩壊ではなく、真逆の効果が生まれているという。

さすがだな、と感じたのは、辻さんが息子さんに語ったというこの言葉。

「この宇宙船は大きなミッションを持って火星に向かっているのだ。」

つまり、人類が大きな価値観の変化を求められているということ。

住んでいるアパートは「宇宙船」となり、毎日のジョギングは「宇宙遊泳」、買い物は「船外活動」だという。

こうして父と息子は、宇宙船の中で様々な共同作業を行い、関係性をより深めることに成功した。

それって、本当にすばらしいことだ。

辻さんは、書いている。

いちばん守らなければいけないのは、「生活を失わない」ことだと。

本当にその通りだとわたしも思う。

わたしは今、ペンギンとゆりねと、ひとつ屋根の下、三つの命を並べて暮らしている。

この前代未聞の非常事態に、流れからいったら、三つの命がすべて散り散りになって、それぞれが孤立し、孤独に打ち震えるという可能性だって十分ありえた。

というか、そうなることの方が自然だった。

でも、どういう因果かわからないけれど、そうはならず、いっしょに助け合って生きている。

そしてわたしは、そうなって、本当によかったと思っている。

わたしひとりだったら、この難局を自力で乗り越えることなんて絶対に無理だった。

結局、お互いの足りないところを補い合って生きていくしかないんだなぁ、と、そのことを、この新型コロナウィルスが教えてくれた。

自分にとって必要なものと、そうでないもの。

この数ヶ月間、わたしは有形無形の所有物を自分の中の「ざる」に流し込んで、取捨選択しているのかもしれない。

なるべく物を少なくして生きていこうと思って実践してきたけれど、それでも、人生半世紀近くも生きていると、知らず知らず、荷物が増えていくのもまた事実だ。

必要だ、と信じ切っていたものが実はいらないものだったり、逆にもう必要ないだろうと判断したものに、大切な宝物が隠されていたりする。

今、マンションのゴミ置場には、連日、大量のモノが捨てられている。

少しでも住環境を整えるべく、要るものと要らないものを選別しているのかもしれない。

大袈裟かもしれないけれど、地球に暮らす全人類総出の、断捨離時代到来だ。

火星へ行くってことは、身の回りの装備一式から改めて見直し、そういう状況でも生きていけるように環境を整えるということなんだろう。

辻さんの寄稿を読みながら、そう思った。

そしてわたし自身は、火星に行く準備を全くしていなかったと反省している。