思い込み

久しぶりに、お茶のお稽古に通いたくなった。
二十代、三十代の頃は、茶道教室に通っていたけれど、書く仕事が本格化してからは、なかなかタイミングが合わなくなったこともあり、お稽古から足が遠のいていた。
日本に戻ったら真っ先にやりたいことの一つだったけれど、あいにくコロナの影響で、なかなかそれも実現できずにいた。

自分に合ったいい教室や先生を探すのも課題だった。
わたしは、のんびりお茶を習いたい。
お茶名とかには興味はなく、お茶室でお茶をいただき、緩やかな時間の流れそのものを味わうのが目的なので、それほどお茶にお金をかけたいとも思わない。
要するに、ただただリラックスしてお茶を飲んだり点てたりしたいのだ。
そういう態度でも受け入れてくれる先生のところで、お茶のお稽古がしたかった。

先日、ひょんなことから、ここならいいかも、と思う教室を見つけた。
場所は東京の反対側だけれど、まぁ月に一回、のんびりと小旅行気分で出かけるのも悪くない。
何より、古いお道具を使ってお稽古をする、という点に惹かれた。
早速先生に連絡を取り、お稽古の見学をさせていただくことにした。

久しぶりの着物である。
まだ五月だけど、もう六月が目前だし、単の着物に袖を通した。
帯は、ずいぶん前に買った古いアンティークの帯をしめる。
結構、サクサクと着付けができて自分でも驚いた。

道具を準備している途中で、白い足袋がないことに気づいて慌てふためく。
デパートはお休みだし、と思って個人商店の着物屋さんに電話をし、白足袋の在庫を確認する。
雨が心配だったけど、歩きやすい畳表の草履を履いて、いざ出発。
もちろん、手には晴雨兼用の日傘を持つ。

バス、電車、電車、と乗り継いでまずは途中で白足袋をゲットし、更に電車、電車、電車と乗り継ぐ。
もう少し楽に行けるルートもあるのだけど、渋谷や新宿は極力通りたくないので、地下鉄だけで行った。
日曜日にしては、やっぱり空いているかもしれない。
汗をかきかき、ようやくお稽古が行われているギャラリーの前にたどり着く。
が、開いているはずのお店が、閉まっていた。

ん? 日にちを間違えたかしら?
でも、確かに合っている。
ということは、緊急事態宣言の延長を受けて、急遽、お稽古がお休みになったのだろうか?

しばらく建物の前に立って様子を伺うも、誰も来ないし、誰も出てこない。
呼び鈴を押しても返事がないし。
結局、また元のルートを引き返した。

せっかく着物で出かけたのだしなぁ、と思って、途中、ずっと気になっていた印伝のお店に立ち寄る。
何も買わずに店を出て、冷たい豆かんでも食べて帰ろうかと思ったけれど、少し我慢してそのまま帰宅した。
速攻で帯をほどき、着物をほどき、ささっと普段着に着替えて、冷蔵庫からビールを取り出す。

あー、おいしい。
最高だ。
汗をたくさんかいて、着物の束縛から解放された後のビールは格別である。
おつまみに、お煎餅をポリポリ。

数時間後、先生からメールが来ていた。
件名に、「ごめんなさい。」とある。
どうやら、お稽古は予定通り中で行われていたらしいのだ。
ただ、お稽古の時は、お店の表玄関は閉めてあり、横にある御勝手口のようなところから出入りするという。
その御勝手口は確かにあったけれど、わたしはさすがに開けることができなかったのだ。
てっきり、お休みになったものと思い込んでしまった。

こういう失敗、わたしにはよくある。
きっと、というか間違いなく、わたしは思い込みの激しい人間なのだ。
いけない、と思いつつ、どうもその癖が治らない。
でもそのおかげで、おいしいビールが飲めたし、先生とのメールのやりとりで、どんな先生かもお察しすることができた。
次に見学に行けるのは九月になるから、その時は、再度事前に状況を確認するべし。

それにしても、この帯をしめられたのが、嬉しい。
つい最近クリーニングに出したから、なんだか気持ちよかった。
とても古い帯で、この色合いとか、なかなか今の帯では味わえない。
梅雨になると、わたしはこの帯がしめたくなる。

着物は、いいなぁ。