川の水で桃を冷やす

出羽三山の旅、最終日。
宿の朝ご飯の半分を曲げわっぱに詰め込んで、月山山麓に広がるブナの原生林へ。

ブナの森って、そこにいるだけで気持ちが軽くなる。
葉っぱの色が明るいから?
週末なのに、森にはほとんど人がいなくて(唯一お会いしたのは川原で手を繋いでいたゲイのカップルさんだけ)、ものすごく気持ちよかった。
月山の湧き水を探し、まずはそこでコーヒータイム。

紙コップにコーヒーフィルターを設置し、そこへ、水筒に入れて宿から持ってきたお湯を注ぐ。
アウトドア用の特別な道具なんかなくても、工夫すればなんちゃってだけど淹れたてのコーヒーが楽しめることに気づいたのだ。
コーヒーは、最初のホテルのショップにあった、山形の珈琲ひぐらしさんのもの。

外で飲む淹れたてコーヒーの味は格別だった。
一緒に、宿でもらったお団子も頬張る。
こういうのが、一番の贅沢だなぁとしみじみ。

ブナの森を散策した後は、リフトを使って月山の9合目へ。
ここで美しい山を眺めながら、お昼をいただく。

曲げわっぱって、本当に便利だ。
最近、旅に出る時は必ずと言っていいくらい、曲げわっぱをお供に連れてきている。
壊れやすいお菓子を入れたり、果物を入れたり、色々と使えるけれど、もっとも活躍するのは朝ご飯の時。
わたしは普段、お昼近くまで食事をとらないので、どうしても、朝からもりもりは食べられない。
それで、汁物とかお弁当に詰められないものだけその場で食べて、残りは曲げわっぱにご飯やおかずを詰めて、お昼にいただくようにしているのだ。
これが大正解で、そうすることで食べ物を無駄にしなくて済むし、お昼に好きな場所でおいしいお弁当を広げることができる。

これがプラスチック製の容器やサランラップだとどうしても興醒めしてしまう。
曲げわっぱだからこそ、適度な水分も抜けるし、気分もいい。
曲げわっぱ普及委員会の会長を自称したくなるほど、もっともっと曲げわっぱが世界に広がればいいと思っている。
ひとりにひとつ、曲げわっぱがあるだけで、旅も、ふだんの暮らしもグンと楽しくなる。
家では、炊いて余ったご飯を入れて、おひつ代わりとしても使っている。

再びリフトで下山し、宿のご主人に教えてもらった水のきれいな場所へ移動。
ここは、地元の人が行く所だそうで、教えてもらわなかったら絶対に通り過ぎてしまっていた。

道路脇に広がる、緑色に輝く別世界。
苔むした石の間を、水が流れ落ちてきて、小さな滝のようになっている。

いつか食べようと持ち歩いていた桃を冷やして、デザートにした。
それにしても、水の冷たいこと!
10秒も足をつけていたら、ジンジンと体が痺れてくる。

そして、もっと驚いたのは、そのお味。
わたしは、こんなにおいしい水を飲んだ記憶がない。
まさしく月山の自然水で、嫌な感じが全くなく、スーッと心地の良い風のように体に広がっていく。
身体中の細胞が目覚め、命がよみがえるような水だった。

桃は、皮のまま、がぶりと丸かじりした。
こちらもまた、素晴らしくおいしい。
ちょうど良い冷え具合で、熟れ具合も最高で、この上ないほどの極上の味だった。
川の水で桃を冷やす。
これ、自分の中で二十四節気のひとつにしたい。

丸五日、山形を満喫した。
途中、いちばん大事な時に、登山靴のゴムの靴底がベロっと剥がれ、かなり冷や汗をかいたのだけど、なんとかそこにあるもので急場を凌ぐことができた。

確か、富士山へ登る時に買った靴だから、かれこれ15年近くのお付き合いになる。
防水がしっかりしていて、靴紐ではなくダイヤルを回すとワイヤーが開いたり閉まったりするのがとても便利で、海外に行く時も、かなりの確率でお世話になっていた。
雨の日は長靴替わりに履くこともあったし、歩きやすいから、どこに行くのも一緒だった。
でもまさか、このタイミングでこうなるとは!

山登りの前日の夕方、まずは右足の方の靴底が剥がれのだけど、すぐに店に行けるような環境ではない。
コンビニで接着剤を買って貼り付けようかと思ったけど、コンビニなんてどこにもないのだ。
もう山登りは諦めようかと思ったけれど、ふと、無農薬でのリンゴの栽培に成功した木村秋則さんの言葉を思い出し、なんとか工夫できないかと知恵を絞る。
それで、宿に唯一あったビニール紐で爪先をくくることを思いついた。
途中で切れるかもしれないと、予備の紐をもらって大正解だった。
登山開始早々、右だけでなく左もつま先のゴム底がパカパカになり、予備の紐が早速役に立った。

工夫をするって、ホントに大事。
諦めたら、そこで終わりになってしまう。
おかげさまで、山形で、最高に素晴らしい時間を過ごせた。