Less is More

ただ今、安曇野の山にこもっている。
めちゃくちゃ山の中というわけではないけれど、視野の半分以上は常に緑が目に入って、それだけでとても気持ちが良くなる。
木が多いから、蝉もたくさん鳴いている。

食事は一日二回で、玄米菜食だ。
これがまた、すこぶるおいしい。
時間も、朝の10時半と夕方の5時半で、普段の食事スタイルとそうそう変わらないから、わたしにはとてもありがたい。
パッと見ると、量が少ないように感じるのだけど、実際に食べてみると、この量で十分だということがよくわかる。

玄米なので、とにかく、よく噛む。
同じ玄米でも、日によって、ナッツが入れてあったり、梅干しや海苔が炊き込んであったりと、表情が七変化する。
おかずも、おからのトマト和えとか、かぼちゃとゴボウをカレー風味にしたのとか、自分だったら絶対に発想しないような斬新なものばかり。
手をかえ品をかえ出してくれるので、全然飽きない。
毎日、献立を考えるリーダー的な人が当番制で変わるので、それも飽きない理由のような気がする。

スタッフは、みんな若い子たちだ。
先日閉幕したオリンピックでも、十代の子たちのみずみずしい活躍がまぶしかった。
あの子たちは、全く新しい世代という気がする。
国家だの故郷だの、そういう余計なものを背負ったりせず、ただただそのスポーツをしていて楽しいからやっている。
ここで料理を作っている若い子たちも、楽しんで作っている様子が伝わってくる。
そういう新しい価値観の子たちがどんどん前に出てきて、世の中を爽やかに変えていってほしい。
全体的には、そういう方向に動き出しているのを感じる。

先日、Less is More という表現に出会った。
少ない方が、より豊かである、みたいなニュアンスだろうか。
足るを知る、とも近いかと。

わたし達は今、本当に分岐点にいると思う。
地球温暖化の問題もそうだし、食料の問題もそう。
豊かな国で食べ物が有り余って大量に破棄している一方で、今日食べるものにも困っている人たちがたくさんいる。
そして空腹が、争いをもたらす。
本当に、今すぐその問題を一人一人が自覚して、すぐに行動を起こさないと、悲惨なことになる。

おいしいものを食べるのは幸せなことだけれど、食べ過ぎはよくないな、と自分自身の食生活を振り返って、そう思った。
先進国の人々が口にする肉の量を減らすだけで、それらの動物が食べていた飼料となる穀物を、人が食べる分に回すことができる。
いきなり肉の量をゼロにするのは難しくても、少しずつ減らしていくのは、可能なはず。
わたしも、もともとそんなにお肉やお魚を食べる方ではないけれど、それでも、その割合をもっと減らしていこうと思っている。
目標は、腹七分目。

よく噛んで、野菜たちと対話し、感謝していただく。
それだけで、満たされ方が随分と違ってくる。
丁寧に支度をしてくれている姿を見ているから、余計、味わって頂こうという気持ちになる。
それが、よき循環を生んで、世の中に広がっていけばいい。

わたしが今危惧しているのは、コロナのことだ。
この先、ワクチンを打った人と打たない人が真っ二つに対立し、地球規模の分断が起きるんじゃないかと。
それが今、すごく怖い。

先日、ふと、もしかしてわたしが生きている間は、もうマスクを手放せないんじゃないかと、そんな未来を想像してゾッとした。
このまま温暖化が進んで永久凍土がどんどん溶け出すと、そこから未知のウイルスが出てくるという話もある。

わたし自身は、コロナに対抗するのにもっとも有効的な方法は、免疫力を高めることだと思っている。
だから、滋養のある食生活をし、ストレスを溜めず、しっかりと睡眠をとることを心がけている。

今日は朝、森の中で瞑想をした。
最高に気持ちよかった。