秋刀魚と銭湯
朝、ヨガに行こうと自転車に乗っていたら、どこからか甘い匂いがする。
香りの出どころは、金木犀だ。
金木犀が、ふわふわと秋を運んでくる。
コロナ下の生活スタイルになって、もしかするともっとも頻繁に会っている外の人は、ヨガの先生かもしれない。
雨さえザーザーでなければ可能な限り行っているので、去年の夏くらいから、結構な頻度でお会いしている。
先週は多くて生徒が3人だったけど、今週はわたし一人だった。
先生とは、かれこれ十五年、いや下手すると二十年近くのおつきあいになるが、その間、毎週末、同じポーズを同じ言葉で説明してくれて、それって本当に偉大なことだなぁ、と思う。
ベルリンにいた時とか、数年間、足が遠のいた時期もあったけど、ヨガには、かなり助けられている。
ヨガの帰りに商店街のお店をハシゴして買い物を済ませるのだが、昨日は魚屋さんに秋刀魚があった。
去年は秋刀魚が高くて高くて、しかもすごく小さかった。
それに較べると、大きさもそこそこあって、一尾350円は、まぁ安い。
冷蔵庫に大根が少し残っていたしなぁ、なんて思いながら、ウキウキした気分で秋刀魚を連れて帰った。
平日は銭湯へ行き、週末はヨガ。
このふたつで、なんとかわたしの健康は保たれている。
最近、銭湯でポツポツと言葉を交わすようになった女性がいる。
いつも同じ時間帯に通っているので以前から顔と体は存じ上げていたのだけど、人見知りゆえ、言葉を交わしたことはなく、いつも、彼女が誰かと話しているのを、ふんふん、と一方的に背中で聞くだけの関係だった。
彼女は70代前半で、以前どんなお仕事をされていたかも、どんな考え方の人かもなんとなく知っているし、博識で読書家でもあることも承知している。
そのままの関係を続けてもよかったのだけど、こんなに毎日顔を合わせているのだし、と露天風呂でふたりきりになった時、わたしの方から声をかけたのだった。
「急に秋になりましたねぇ」とか、なんとか。
彼女は、23歳の時に盲腸の手術をして以来、50年間、一度も保険証を使ったことがないという。
その日はたまたまよく来る常連さん4人が、ちょうど外のお風呂に揃っていた。
一応、ソーシャルディスタンスを意識して、長方形の湯船の四角に、それぞれひとりずつお風呂に入っていた。
「健康の秘訣はなんですか?」 と別の常連さんが尋ねると、
「まずは、早寝早起き。それと、旬の野菜をたくさん食べること。
あと、人の悪口は絶対に言わない」
なるほどねぇ、とわたしを含む他の常連3人が、うんうんと頷く。
おそらく鍵は最後の、人の悪口は絶対に言わない、なんだろうな、と思った。
前のふたつは、まぁまぁ実行できることだから。
わたしも、滅多に病院に行くことはないけれど、流石に年に一回くらいは、保険証を使っている。
人生の大先輩の言葉だけに、ずっしりとした重みがあった。
そうそう、お風呂で気になっていることと言えば、、、
最近、若い子が、結構な確率で、下の毛をツルツルにしている。
ドイツでは、男性も女性がそれが当たり前になっていたけど、なんか、この夏で急にツルツルを目にすることが多くなった。
こういうことも、家のお風呂に入っているだけじゃ、わからなかったことだ。
いつかこの話題を小説に取り入れたいと、虎視眈々と狙っているのだが、まだその機運はやって来ない。
銭湯に行くと、いろんな発見があって面白い。
あと10日ほどで、中秋の明月だ。
北海道から大きなかぼちゃがゴロンと一個届いたので、かぼちゃのプリンを作ったら、満月みたいになった。
見本誌として届いた最新号の『七緒』に載っていた、野村友里さんのレシピで作った。
料理上手なお母様から受け継いだ作り方だという。
裏漉しもせず、材料もシンプルで、すごく簡単にできるのに、すっごくおいしい。
同じ号で、わたしもエッセイを書かせていただいている。
今月、ようやくお茶のお稽古の見学に行けると楽しみにしていたのに、コロナで中止になった。
いつになったら、気兼ねなくマスクなしで外を歩けるようになるのかな。
銭湯で知り合ったれいの70代の彼女によると、こういう状況はあと4、5年続くって、とのこと。
そうかもしれないなー、とわたしも思った。
元に戻ることを期待するのではなく、この状況に合わせて自分の生活スタイルを変える方が、効率的なのかもしれない。
すでに、新しい時代が始まっている。