正義感
久しぶりに映画館に行って、映画を見てきた。
小さな映画館なのに、更にコロナの影響で席を半分に減らしたせいで、数えるほどしか客がいない。
見たのは、『ジョーンの秘密』。
イギリスでの実話に基づいて作られた作品だ。
ジュディ・デンチが演じるジョーンは、イギリスの片田舎のどこにでもいそうな善良そうなおばあちゃん。彼女は夫亡き後、郊外の一軒家でひとり、静かに暮らしていた。
そんな彼女が、2000年5月、いきなりスパイ容疑で逮捕される。
ソ連のKGBに核開発の機密情報を漏らしたとして告発されたのだ。
ジョーンは、ケンブリッジ大学で物理学を学んだ。
成績が優秀だった彼女は、その後、秘密裏に核兵器の開発をする機関の事務員として採用される。
そして、その情報を、学生時代に共産主義の会で知り合ったロシア系ユダヤ人の恋人に渡していたというのだ。
映画を見に行ったのは、ちょうど8月15日で、広島と長崎に落とされた原爆が、ジョーンの気持ちに大きな影響を与え、結果としてソ連に原爆の情報を渡す行為へと促したのがわかる。
映画の最後、彼女は自宅前で自分を責める記者たちに対してスピーチをするのだが、その内容がとても印象的だった。
彼女は、平和を実現するために、原爆の情報をソ連に渡したと主張したのだ。
西側と東側が同じ情報を持ち、知識のレベルが同等になることで、原爆による犠牲者をなくすことができる、と。
彼女をスパイ行為に駆り立てたのは、純粋な正義感だった。
ジョーンは、核兵器開発の陣頭指揮をとっていたマックス・デイヴィス教授と結婚したが、このふたりが世界に与えた影響を想像すると、計り知れない。
夫は原爆を開発し、妻はその情報をソ連に流し、東西の冷戦時代を迎えるに至ったのだから。
恋愛の初々しさ、戦争の不条理など、様々な文が幾重に折り重なって、少しも間延びしたところがなく、スクリーンから一瞬も目を離すことができない緊張感のある映画だった。
主人公のモデルとなったメリタ・ノーウッドは、生前、こんなふうに語っていたという。
「私はお金が欲しかったのではない。私はソ連が西側と対等な足場に立つことを望んでいたのだ」
それにしても、現実に目を転じれば、コロナ禍が日々の暮らしの至るところに忍び寄っている。
感染者数の増加やら経済の悪化やら、心を痛める要素はたくさんあるけれど、わたしが今一番気になるのは、自粛警察とかマスク警察、はたまた帰省警察などという、そういう部類の行為だなぁ。
もちろん、用心するに越したことはないし、明らかに度を越した不注意で感染を広めるというのは良くないと思うけれど、どんなに気をつけていたってかかってしまう時はかかってしまうし、誰もが、自分は絶対にかからない、とは言い切れない。
それなのに、東京から帰省した人に対して嫌がらせをしたり、かかってしまった人に対して誹謗中傷したりするのは、はっきり言って稚拙すぎる。
そして、そういう行動をしている人たちを駆り立てているのが正義感だというのが、本当に困ったものだと思う。
けれど、あまりに真面目すぎると、他人が許せなくなり、自分と同じ行動をとらない相手を非難したり攻撃したりという行動に、出やすくなってしまう。
ホロコーストだって、そういう正義感みたいなものが積み重なって生まれたのかもしれない。
ドイツ人にしろ日本人にしろ、きっと、平均的な他の人種から比べると、規範を重んじる性格で、真面目なんだろう。
自分たちが、あるひとつの方向に流れやすい性格だということは、自覚していて損することはないと思う。
ドイツは戦後、そういうことを徹底的に反省して、今の環境を作り上げた。
だから、自分の自由と相手の自由を同じように尊重する。
でも、日本はそこのところをうやむやにしてきて、今に至る。
わたしは、今、世の中にはびこっているなんとか警察というのが、本当に恐ろしいと感じている。
ある意味、コロナよりも怖いなぁ、と。
正義感も、一歩間違えると、凶暴な武器になるということ。
そのことを、自分自身が、肝に銘じていようと思った。
今朝も、朝の5時半にゆりねとお散歩。
道々に、セミの亡骸が転がっている。