オスというもの
友人のオカズ夫妻から新しい家族を迎えることにしたので、お披露目しに行きます、と連絡が来たのが先月の始めだった。
去年の暮れ、愛犬のそら豆が天国に旅立ってしまった。
そら豆は、家族同然というか、家族そのものだったから、ふたりの悲しみが如何程だったか、容易に想像がつく。
一緒に暮らしていた犬や猫を亡くすと、こんなに悲しい思いはもう二度としたくないという理由で、その後、一切飼わなくなる人もいる。
ふたりはどうするんだろう、と静かに見守っていたら、新しい犬を迎えたとの知らせ。
会うまで、犬種も色も何も聞かないでおこうと思ったのだけど、わが家に連れてくる日の朝、ふと「もしかして名前は黒豆かな?」とメールしたら、一発で当ってしまった。
「豆」繋がりで来るだろう、という読みが的中した。
そして、先代の犬とあんまり似たような子は選ばないだろうという予感がしたのだ。
ちなみに、下に豆がつく名前だって、とペンギンに話したら、最初に挙げたのが「枝豆」、ブブーと言って、お正月に食べる物だとヒントを加えたら、次に挙げたのが「ごまめ」だった。
どっちも、犬の名前としてはユニークすぎる。
生後三ヶ月ちょっとの黒豆は、落ち着くということを全く知らない様子で、常に走り回っていた。
そら豆もゆりねもメスで、おっとりしたマイペースな性格だから、それから比べると、オスはシンプルというか、単純明快というか。
まだその若さなのに、ゆりねに乗って腰を振ろうと何度も何度もチャレンジしていた。
その時から比べると、だいぶ身体が大きくなっていた。
今、ゆりねとちょうど同じくらい。
完全に白黒コンビで、オセロみたいだ。
しかも黒豆とゆりね、どっちもお正月に食べる縁起物でおめでたい。
ゆりねは基本的に社交的で、犬も人も大好きなのだけど、昨日はさすがに黒豆からしつこくつきまとわれて、うーっと怒っていた。
滅多に吠えることのないゆりねが、犬生で何度目かにピシャリと吠えたから、よっぽど腹を立てたのだろう。
黒豆の性欲は、前回から更にパワーアップし、とにかくゆりねに乗ろうとする。
どんなに注意されてもすぐに腰を振ろうとするので、半分は、ケージに入れられていた。
それでも、ケージの扉が開かれた瞬間、ゆりねに突進してくる。
オスってすごいなぁ、とただただ感心した。
性欲、しか無い。
黒豆にちなんで、昨日は黒豆と胡瓜のサラダを作った。
あとは、揚げ春巻きと、ペンギンのニンニク炒飯、私の冷やし中華。
デザートは、わが家のコーヒーゼリーと、オカズさんのチーズケーキ。
お昼の宴も、なんだか良いなぁ。
ペンギンは、ニンニク炒飯の出来が今ひとつだったらしく、いまだにメソメソしているけど。
今日は、読者の方から頂いたお手紙に目を通した。
一通一通が、胸に染みる。
時期的に、コロナの自粛期間にわたしの本と出会ったという方も多かった。
そんな時に時間を共にすることができて、わたしもすごく嬉しい。
お手紙を書いて送ってくださった皆さま、本当に本当にありがとうございます。
わたしの心の、一番の栄養です。
その中に、愛猫を亡くして、ペットロスで悩まれている方がいた。
もうすぐ一年になるという。
自分のことのように、胸に迫る内容だった。
彼女は、保護猫を救う活動もされていて、でも娘同然だった愛猫を救うことができなくて悔やまれていた。
わたしの作品の大半を韓国語に訳してくださっているナミさんからも、つい先日、愛犬のナムちゃんが天国へ旅立ったという内容のメールがきた。
わたしにもいつか、ゆりねとのお別れの日が来るだろう。
どんなに覚悟をしていても、その時にならないと、自分がどうなってしまうのかわからない。
大好きで大好きで、ずーっと一緒にいたいけれど、命あるものとは、必ず大きな別れの時が来る。
悲しまないように愛情を薄めることなんてできないから、もうドカンと体当たりでぶつかっていくしかない。
ペットロスで悲しみに暮れる人に即効薬みたいな魔法の言葉はないけれど、もしかすると、それは時間だけが、解決する可能性を秘めているのかもしれない。
『天然生活』のエッセイにも書いたけれど、「時薬」という言葉は、言い得て妙だなぁ。
わたしにも、時間のお薬にお任せするしかない課題が、幾つもある。
コロナをきっかけに犬を迎えた家も多いようで、ゆりねを連れて歩いていると、最近、生後数ヶ月の子犬ちゃんに遭遇することが多い。
と同時に、十五歳とかの、おじいちゃん犬、おばあちゃん犬に出会うことも多くなった。
みんな長生きしてね、って思う。
黒豆は、どんな犬に成長するのかな?