いけしゃあしゃあ

佐野洋子さんのエッセイ集『今日でなくてもいい』を読んでいる。
絵本『100万回生きたねこ』の佐野洋子さんであり、詩人の谷川俊太郎さんと結婚し、その後離婚した佐野洋子さんだ。
谷川さんが詩を書いて、佐野さんが絵を描いた共著『女に』は、生々しくて、すごく好き。
たまにページをめくっては、ふたりの関係に想像を巡らせている。

でも、佐野さんについて知っているのはそれくらいで、ちゃんとエッセイ集を読むのは初めてだ。
裸で生きている感じが、すごい。
伊藤比呂美さんの『道行きや』を読んだ時に感じた「剥き出しの魂で生きていることの凄み」みたいなのを、佐野さんの言葉からもビシバシ感じた。

ご本人も「私が愛する人は皆」というエッセイで、
「私はいかなる思想も信じないことにした。目の前で見たもの、さわったものだけがたしかだとしか思えなくなった」
と書いていらっしゃるけど、それを徹底して生き抜いた気がする。

佐野さんのお父様が夕食の際の訓示で何百回もおっしゃったという、
「活字は信じるな、人間は活字になると人の話より信用するからだ」という言葉も重みがある。

なんと、佐野さんはベルリン造形大学でリトグラフを学んだそうだ。
1967年とあるから、壁が開くずっと前の、西と東にベルリンが分かれていた頃をその目で見ていることになる。
わたしとはまた違った風景を、たくさんたくさん目にして、そこから多くを感じ取られたのだろう。

好きだったのは、佐野さんが病院に行って、癌の再発を告げられた日のエピソードだ。
帰り道、佐野さんは家の近所の車屋さんに寄ったという。
佐野さんは国粋主義者で、それまで外車には乗らなかったし、「中古の外車を買う奴が一番嫌だった」と書いている。
けれど、その時に佐野さんが立ち寄ったのは外車を扱う店で、佐野さんはイングリッシュグリーンのジャガーを指さして、「それ下さい」と言って買ったそうだ。
かっこいいなぁ。
実は佐野さん、イングリッシュグリーンのジャガーが、内心では一番美しいと思っていたそうなのだ。
「私の最後の物欲だった。」とある。

そういう、ちょっと破天荒なことをさらっとやる人に、わたしは憧れてしまうのかもしれない。
もう人生のゴールが見えているのなら、人生の最後の最後くらい、ジャガーに乗ってもいいじゃないか、とわたしも思う。
自分も、人生のお終いまで、パンクな精神を忘れずにいたいと思った。

イングリッシュグリーンというのがどういう色かわからなくて調べたら、まぁ! 見た瞬間にため息が出た。
確かに、上品で美しい色をしている。
癌が再発したのは、左の太ももの付け根で、左足は痛くても、右足を使えば自分で運転できる。
再発してもタバコをやめなかった佐野さんは、禁煙になったタクシーに乗るのをやめ、自分の運転するジャガーでタバコを吸い続けた。
「おまけにタクシー代が節約できた。」とある。

佐野さんは、72歳で亡くなる結構ギリギリまで、エッセイを書いている。
それが、すごく励みというか、参考になる。
最後のエッセイの最後の行に、「いけしゃーしゃー」という言葉が出てきて、なんだか久しぶりに見た気がした。
いけしゃあしゃあに、というのは、憎らしいほどに平気でいるさまのことで、なんだか佐野さんの生き様そのものの気がした。
わたしも、死ぬ間際までこの日記が書けて、実況中継ができたら本望だ。

わたしは時々、理想のおばあさん像を考える。
どんなおばあさんになりたいか、自分なりにイメージするのだが、佐野さんもひとつのモデルだ。
以前は、ターシャ・テューダーみたいになれたらなぁ、なんて夢見ていたけど、佐野洋子さんもいい。
ふたりは真逆だけどね。妖精も、意地悪ばあさんも、どっちもやりがいがありそうに思う。
佐藤愛子さんみたいに生きるのも憧れるし、篠田桃紅さんや樹木希林さんもかっこいい。

こうやって見ると、おばあさんの生き方のモデルはたくさんいるけど、はて、おじいさんのモデルは? となると立ち止まってしまう。
生き様をさらけ出し、あっけらかんと死に際まで公にしている人。後に続く人にヒントと勇気を与えてくれるような人。
しばらくして、あ、と思い浮かんだのは伊丹十三さんだが、彼は自らの人生を自分で終わらせているし、ちょっと違うかもしれない。
伊丹さんの美意識は、すごくすごく好きだけど。

そもそも、男の人にとって「さらけ出す」というのは、ハードルが高いのかも。
それは、子どもを産む性か否かの違いも、大いに関係しているのかもしれない。
女性は、さらけ出さなければ子は産めないし、子をなす行為もできない気がする。

大学生の友人が誕生日にプレゼントしてくれたのが、『100万回生きたねこ』だった。
久しぶりに読んでみよう。