ペンギンと暮らす

ありがとう!

2018.12.03 Mon

友人が亡くなって、一週間が経つ。
ベルリンでよく一緒にゴハンを食べたり、温泉へ行ったり、遠足へ行ったりしていた。
私の髪の毛を切ってくれていたのも、彼女だった。
もうひとりの友人と私と三人で、いつもケラケラ笑いながら、夜遅くまでいろんな話をした。

ガンだというのは知っていたし、それが再発したというのも聞いていた。
もちろん、彼女の体調を気づかってはいたけれど、それ以上に、普通に接するのを心がけていた。
一年前、まさか彼女が一年後には天国にいってしまうなんて、想像すらしていなかった。
振り返ると、この一年、私たちはよく、取り憑かれたように、宇宙や死について、話していた。
だけど、こんな結末を迎えるだなんて、ちっとも思っていなかった。

彼女は、この夏、息子を連れて日本に帰省中、体調が悪くなって、もうベルリンへは戻ってこられなくなった。
それ以降は、大分の実家で、家族に囲まれて闘病していた。
8月に一度体調がうんと悪化し、生死をさまよいながらも、奇跡的に一命をとりとめて、一度は、元気になっていた。
だから本人も、そして周りも、そのまま元気を取り戻すようなつもりになっていた。
でも、そんなに甘くはなかった。
ガンは、彼女の体内で、着実に勢力を広げていた。

10月に私が日本に戻る時、彼女から頼まれてドイツで売っているアロマオイルをお土産に持ってきて、それを送った。
受け取った彼女からは、とてもはつらつとしたメールが届いたので安心した。
でも、その後からみるみる体調が悪くなって、最後に電話した時は、ほとんど意識はなく、大量に血を吐いたこともあり、可哀想なほどに痩せてしまっていた。
それでも、意識が朦朧とする中、「治ったら、森の中で、美容室を開きたい」と語っていた。
言葉を話す姿を見たのは、それが最後になった。

亡くなる前の一週間は、ほとんど意識がないような状態だったけれど、家族は、毎日、イベントを企画して、隠し芸大会をしたり、歌のライブをしたり、少し前倒しして、彼女のバースデーパーティを開いたりしていた。
その姿は、本当に素晴らしくて、家族っていいなぁ、としみじみ思った。
彼女が周りの人たちとどういう関係を結んで生きてきたの結果がそれだった。

離婚をして、シングルマザーとして小学生の息子を育てていたのだけど、最後は、元旦那さんも実家に駆けつけ、いい時間を過ごしていた。
すべてを許して、生きている間に愛に置き換えて、本当に見事だと思った。

あれは、亡くなる数日前だった。
若い頃からの彼女の写真が、ラインのグループに送られてきた。
そこに、中学生か高校生か、とにかく十代の頃の彼女の写真があった。
それを見て、一堂、仰天した。
化粧をし、真っ赤な口紅をぬり、上半身にはサラシをくるくる巻いて、長ーいスカートを履いて、思いっきりレンズを睨みつけていた。

「きゃー、スケバンだー!」
「隠してたー」
「めちゃくちゃ強そう!」
「気合い入りまくってるー」

と、私たちはさんざん盛り上がった。
私も、そしてほかの友人たちも、泣き笑いが止まらない。
本人はもう昏睡状態だったけれど、それはまさに、彼女からのギフトに思えてならなかった。
あんな悲しい状況にも私たちを笑わせてくれて、本当に彼女らしい計らいだった。
きっと彼女は、「ばれたか」とでもつぶやきながら、私たちの様子を見てほくそ笑んでいたに違いない。
そして、8月に亡くなってもおかしくはない状態だったのに、生還して、それからの日々を家族とともに過ごせたことは、彼女にとっても幸せだったけれど、それ以上に、家族や周りの友人たちが、彼女の死を受け入れるために必要な時間でもあったと思う。

もう、生身の彼女には会えないんだなぁ。
そう思うとしんみりしてしまうけれど、この一年間、さんざん、「死んでも魂として生き続けている」ということを話してきたので、ま、ちょっと早く彼女が姿を変えただけかな、またいつかどこかで会えるんだろう、とも思っている。

そんなわけで、今日は彼女の冥福を祈って、お線香を焚いた。
お香は、亡くなった人の魂のゴハンになると言われている。
だけど、究極の究極を言えば、それもやっぱり、残された人のためというか、残された人がそう信じることで、何かが救われるから、なのかもしれない。
彼女は、とびきり愛おしい人生を、全力で駆け抜けた。

そして、昨日、三省堂有楽町店でのイベントにお集まりくださった皆さま、本当にありがとうございます。
お会いできて、幸せでした!

さてと、今日は冷蔵庫の奥からゼンマイの水煮を発掘したので、甘辛く煮て食べよう。
順調になくなりつつはあるけれど、まだまだ行ける。

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