ペンギンと暮らす

『隣人ヒトラー』

2019.07.24 Wed

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この本を書いたのは、ユダヤ人のエドガー・フィオヒトワンガー氏で、歴史家だ。
彼は幼い頃、ヒトラーの家の向かいに住んでおり、この本はその当時の様子を回想したもの。
だからこの本は、物語ではなく、あくまでも史実に基づいた回想録として存在する。

始まりは1929年で、エドガー少年が5歳の時。
エドガー少年の父親は出版社勤務で、おじさんは反ファシズム運動家として有名なリオン・フィオヒトワンガー氏。
この本にも、(リオン)おじさんとしてたびたび登場する。

この頃から、なんとなくユダヤ人に対しての雲行きが怪しくなってくるのがわかる。
それでも、家の中には平和があふれているし、人々が公然とヒトラーを批判するだけの自由もあった。
少年の一家も、別荘で夏のバカンスを楽しんでいる。
この頃はまだ、ヒトラーを支持する人はほんの一握りの人たちで、大半は彼を笑い者にし、相手にもしていなかったことがわかる。

翌年になると、父親とリオンおじさんとの間で、こんな会話が交わされる。
「もしもあいつが政権を取ったら?」という父親の問いかけに、おじさんは、
「おいおいそれこそありえないよ! 前回の選挙だって三%にも満たない得票率だったのに。これだけ共和主義の発達した国であいつに勝ち目なんてあるはずないじゃないか。この前の戦争以来、この国の人間はみんな平和主義者か、闘わない兵士か、公務員か、左翼か、さもなきゃ共産主義者か、ともかく口を開けば『共和制』としか言わない連中ばっかりだ。」
ところが、この年の選挙で、ヒトラーは18%の票を獲得する。

エドガー少年には、彼の身の回りの世話をしてくれるローズィという心根の優しい女性がいた。
少年は彼女が大好きだった。ローズィはよく、少年に新聞を読んでくれる。
そんなローズィが、ある日、涙ながらにこんなことを言う。

「戦争が人を幸せにしたことはないの。それにヴァイマルは連合なんかじゃなくて共和制。民主主義っていって、国民ひとりひとりが投票できる制度なのよ。一九一八年以来、私たち女性でも投票できるんだから。ヴァイマル憲法のおかげで、今のドイツは世界的にみても進んだ国になったの。」

1931年になると、ヒトラー支持者と、それに反対する人たちの衝突が増えていく。
そして1932年には、少年一家がユダヤ人であることを、母親から秘密にするように命じられる。

読んでいて切なくなるのは、最初は仲良く遊んでいた少年の友人たちが、少しずつ離れていき、最後はエドガーが学校で孤立してしまうことだ。
1933年には、ヒトラーが首相に任命され、少年の家では、ドイツを出てどこか違う国へ移住しようかと話し合われる。
けれど、具体的な話は進まない。
父親は言う。
「とにかくいまは次の選挙を待つしかないよ。そろそろみんな奴らの専制にうんざりしてくるころだろう。誰だって平和を望んでいる。自由に好きな新聞を読んだり、旅に出たり、散歩したりして過ごしていたいんだ。それに、三月五日の選挙ではナチスが過半数に達さないだろうって話だし。一転して大惨敗ってことだってあるかもしれないぞ!」

それからほどなく、オランダ人の若者による国会議事堂放火事件が起き、即刻ヒトラーは、「国民と国家の保護のための大統領令」及び「ドイツ国民への裏切りと反逆的策動に対する大統領令」を緊急大統領令として閣議決定する。
表向きは、民主主義を守るためとして。

大統領令第一条は、ヴィイマル共和制により保証されている市民の自由の大部分を一時的に停止するもので、個人の自由、表現の自由、結社の自由および公的な場における集会の自由、郵便ならびに電話におけるプライバシー保護権、住居ならびに指摘財産保護権などがこれにあたる。

ヒトラーがドイツを率いるようになって以来、学校の先生も、様子が変わったそうだ。
エドガー少年が8、9歳の時に使っていたノートには、鉤十字の絵やヒトラーの写真の切り抜きが残されている。
そうやって、少しずつ少しずつ、ソンタクの空気が蔓延して、その空気は市井の人々にまで侵食していく。
1934年、ほんの少し前までは色眼鏡で見られていたSA(ナチスの親衛隊)は300万人に増え、新聞の見出しには、
「九〇%以上の有権者がヒトラーの問いかけに賛意。ドイツは近く国際連盟を脱隊へ」
と報じられた。

年を追うごとに息苦しさが増して、自由に物が言えない空気が広がっていく様子が生々しい。
これは、あくまで物語ではなく、実際に民主主義国家で起きたこと。

先日の選挙の結果が明らかになった。
結果そのものより、私は正直、投票率の低さに驚いてしまった。
民主主義というものが、いとも呆気なく崩壊するということ、その歴史的事実をきちんと頭に叩き込んでいないと、将来、とても恐ろしいことが起きそうで不安になる。
弱い立場の人を上から目線であざ笑ったり、自分に非があるのに平然としらばっくれたり、そういうことをやっても許されるのだ、それこそが正解なのだという空気が、子どもを含め、津々浦々にまで蔓延することが、今の日本で、一番恐ろしいことだと感じている。

どうか、次の選挙では投票率が上がりますように。