ペンギンと暮らす

2018.11.11 Sun

京都から戻ってすぐ、山形に行ってきた。
私にとって、もう帰る場所はないのだが、でも逆にその方が、山形をありのまま受け容れることができる。
福島を過ぎ、米沢に着く頃には山も深くなり、素直に、あぁきれいなところだと思った。
ちょうど紅葉が見事で、車窓の風景に見とれていたら、あっという間に山形に到着した。

山形市内には、大好きなカフェと、大好きなお菓子屋さんがある。
カフェはわりと最近できたそうだけど、お菓子屋さんの方は、私が子供の頃からある。
おそらく、私と同じ年くらいじゃないかしら?

母は、私の人生の悪役を演じていたが、仮面を取った母はたまに、そこのお菓子を送ってくれた。
特に私は、マカダミアナッツが入ったクッキーに半分だけチョコがかかったお菓子が好きで、勝手に「チョコ棒」と名付けて慈しんでいた。
母との関係が良好だった頃、冷蔵庫にはしばしばチョコ棒が入っていた。
ペンギンも、チョコ棒が好きだった。
ただ、母との関係が悪化し、いよいよ悪役が板についてきてからは、チョコ棒の姿をぱったり見なくなった。

そのお菓子屋さんへ、久しぶりに寄ってきた。
店の佇まいも変わらなければ、ショーケースに並んでいるお菓子も、ほとんど変わらない。
そして、私が子どもの頃から店に立つ奥さんもまた、変わらなかった。
何がすごいって、それだけ年月が経っているのに、色あせた感じが全くしないことだ。
店に漂う匂いも、そのままだった。
今は、主に娘さんがお菓子を作られているという。

私がよく店に通っていたのは、それこそ若い頃だったし、ご挨拶はしなかったのだが、奥さんの方が覚えていてくださり、声をかけてくださった。
そのことにも、びっくりした。
誕生日に食べていたケーキも、昔のまま。
ここのお菓子を食べて育った自分は、本当に幸せだったことを実感した。

あれもこれも懐かしいものばかりだったのだけど、まだ旅行が続くことを考えて、買うのは最小限に留めた。
買ったのは、レーズンサンドひとつと、アントーレという中にパイ生地が挟んであるお菓子、それにチョコ棒ふたつ。
レーズンサンドとアントーレは、旅の途中のおやつとして、チョコ棒はお土産に。
山形から戻って次の日に、伊勢丹での『ミ・ト・ン』の会があるので、その時にお会いする平澤まりこさんと編集者の森下さんに差し上げようと思ったのだ。
だから、自分用のチョコ棒は買わなかった。

で、昨日がその『ミ・ト・ン』の会。
お越し下さった皆様、本当にありがとうございました。
お会いできて、嬉しかったです!

実は、朝、出かける準備をしながら、ちょっと心が揺れていたのだ。
チョコ棒のことで。
ふたりへのお土産は、別のものでもいいかな、と。
そして、手元にあるチョコ棒を、自分で食べてしまおうか、と。
でも、ラトビアの十得の中に、「気前よく」とあるのを思い出し、やっぱりチョコ棒は、当初の予定通り、お土産としてお渡しすることにした。
おふたりにも、私が子供の頃から好きだった味を、食べて欲しかったので。

さて、『ミ・ト・ン』の会は、午前の部と午後の部があり、午後の部が終わって、ご希望の方にサインをしている時、大学生の息子さんを連れた女性が私のところに来てくださった。
山形の方だという。
その方が、どうぞ、と紙袋をくれた。
「私の好きなお菓子屋さんのお菓子です、もう40年くらいずっと同じ味なんです」と。
その方は、私が歌の作詞の仕事をしていた頃から、応援してくださっているという。

そして、家に帰ってびっくり仰天。
彼女が私にくださったのは、なんとなんと、チョコ棒だったのだ。
世の中に、星の数ほどのお菓子があるのに。
山形市内だけだって、いろんなお菓子屋さんがあるのに。
そのお菓子屋さんにだって、ほかにもいろいろ種類があるのに。
ピンポイントで、私がもっとも好きなチョコ棒だった。
そんなことってあるのかな? と、いまだに、狐につままれているような気分が続いている。
あまりにもったいなくて、手がつけられない。

やっぱり、買ってきたふたつは、お土産にして正解だった。
母が、せっかくお店にまで行ったのにチョコ棒を食べられない私に、情けをかけてくれたのかもしれない。
いや、きっとペンギンにあの味を食べさせたかったのだろう。溺愛していたから。

以前、亡くなった人の好物を食べることが供養になると聞いたことがある。
だから今回は、そのつもりで、たくさん食べた。
祖母が好きだった鰻とレーズンサンド。
父が好きだった日本酒。
母が好きだったアントーレ。
温泉に浸かりながら、たくさん、たくさん、語りかけてきた。

帰る場所はもうないと思っていたけれど、今回はじめて泊まった宿がとてもよかったので、これからは勝手に、その旅館を実家だと思うことにした。