ペンギンと暮らす

夏の終わり

2018.08.29 Wed

ペンギンは、ベルリンで仕込んだ手前味噌を持って、日本へ帰国。
さっき、成田に着いたらしい。
楽しい夏だった。

8月は、毎年行っているヤングユーロクラシックに加えて、ダンスのフェスティバルにも行った。
ベルリンってすごいなー、と感心するのは、踊りが、日常生活に根付いていることだ。
ダンスホールが健在で、プロでもない一般の人たちが、普通に踊っている。
心の余裕と時間の余裕が両方なければ、踊ることってできない。

日本にも、盆踊りとか阿波踊りとかあるけれど、あれはハレの踊りで、ふだんの踊りではない。
暮らしの中に、踊りがあるって、とても素敵なことだ。
そして、踊ることって大事だな、と最近強く思うようになった。

いくつか面白そうな公演のチケットを買って見に行ったのだけど、この間の日曜日に見に行ったコンテンポラリーダンスは、中でも素晴らしかった。
午後3時からの公演で、ホールには子ども達もたくさん来ていたから、始まる前、「あれ、これはもしかして、子ども向けのショーだったかな?」と不安になっていたのだけど、そんなの、全くの杞憂だった。
出ている人たちの身体能力が素晴らしいのは言うまでもないけれど、だからといってこれ見よがしに技を見せつけるのでもなく、照明の美しさだったり、最新の技術を使った映像とのコラボレーションだったり、とにかく、幻想の世界に迷い込んだようで、魅了された。
美しいと同時にポップでもあり、子どもから大人まで、楽しめる。
芸術というのは、そうでなくてはいけない、と改めて思った。
そして、こういうダンスを子どもにもしっかり見せるドイツ人って、すごいなーと思った。
そういうのを幼い頃から見て育ったら、やっぱり感受性も磨かれるに違いない。

けれど、すべての公演がこんなに感動できるわけではない。
作者の意図を理解できなかったり、あまりにつまらなくて途中で帰りたくなったり(というか、実際に真ん中の休憩の時に帰ってきたのだけど)というのも、もちろんある。
中でも私がもっとも嫌悪するのは、相手を値踏みするような、わからないのは、あなたの理解が及ばないからです、的な上から目線のアートだ。
注釈を読まなければ理解できないようなアートは、私、あんまり好きじゃない。
芸術なのだから、見てすぐに直感で感動できるというのが、大前提だと思う。
あと、美意識のないアーティストというのも、致命的な気がする。
ベルリンは、アートに対しては本当に間口が広くて寛大なのだけど、たまに、これもありですか? 的なものがあるのも事実だ。

音楽では、ルーマニアのオーケストラの演奏が、本当に良かった。
以前もルーマニアの演奏を聞いて、感動した。
情熱的で、喜怒哀楽がはっきりしていて、でも難解すぎない選曲で、決して期待を裏切らない。
きっと私は、ルーマニアのオーケストラを率いる、あのおじいさん指揮者が好きなのだ。
アンコールで演奏してくれた、ショスタコーヴィチのジャズNo.2は、最高だった。
ペンギンが、演奏を聴きながら、感動のあまり泣いていたっけ。

本当に、この夏もたくさんの心の栄養をいただいた。
そして、夏は終わり。
心の間口をじょじょに閉めて、栄養をちゃんと消化しなくっちゃ。

ついこの間まで30度を超える暑さだったのに、いきなり風が冷たくなった。
数日前、オイルヒーターのパイプを触ったら、もう、温かかった。
そろそろ、冬に備える時期だ。
ゆりねの温もりを、ありがたく感じる。
ペンギンが去った部屋は、私とゆりねには広すぎて、なんだかがらんとしている。