ペンギンと暮らす

思い出の宿

2018.02.26 Mon

南仏へ行ってきた。
今回も、行きはちらし寿司のお弁当を作って持って行き、上空で食べる。
ちなみに、初めて行ったシューネフェルト空港(ベルリンにある、テーゲル以外のもうひとつの空港)は、驚くほど無駄を省いた質実剛健な空港だった。

今回は、アンティーブからスタートし、鷹ノ巣村に一泊ずつし、最後はニースからまたベルリンへという旅を計画した。
私にとって南仏は、思い出の地。
もう20年以上も前、ニコンのカメラF3を持ってひとり旅をしたのも南仏だし、その後ペンギンと、今から思うと婚前旅行みたいな感じで一緒に旅行したのも南仏だった。

南仏には、ちょっと山の方に入ったところに、鷹ノ巣村と呼ばれる小さな村が点在している。
20年前のひとり旅でも、路線バスを乗り継いで、そういう村を訪ね歩いた。
その頃から私は、ニースとかカンヌとかの大都市より、小さい村の方が好きだった。
村自体の佇まいがとても美しいことにまず驚いたし、その村の美しさに誇りを持って生活している人々の姿にも感動した。
そして、フランス人の、生活そのものを豊かに送ろうとするその姿勢に刺激を受けた。

その旅は、私にとってはある意味大きな転換となるもので、それ以降私は、会社に属して誰かの下で働く、ということをしていない。
ぼんやりとではあったけれど、物語を書く人になろう、という小さな光を胸に灯した旅だった。
たくさんの美術館を見てまわり、出会った人々を写真に収めた。
あの時の私は、人生でもっともとんがっていたかもしれない。
頭のてっぺんにアンテナが立っていて、見るもの触れるもの、なにもかもが心の栄養になった。

その中でも一軒、とても印象に残る宿があった。
Biotという村にある、家族経営のホテルだ。
ホテルというか、民宿というか、とにかくホテルとしての施設が整備されていないので、当時は一つ星ホテルという扱いだった。
でも、そこで出されるプロヴァンス料理がおいしくておいしくて、感激した。
部屋には、たくさんの画家たちの絵が飾られていて、中にはとても有名な人の作品もさらりと置いてあったりする。
もともとはアーティストに部屋を貸し出し、彼らがそこで制作したものを家賃としておいていったのが始まりだとか。
料理が評判を呼び、次第にホテルとして旅人を受け入れるようになったという。

そのホテルがあまりにも好きになったので、数年後、ペンギンを連れて再び南仏を訪れたのだ。
強く印象に残っているのは、大きなシェパードがいたことで、宿のお父さんの後ろを、常にくっついていた。
小柄なお父さんは、いつもジャージをはいていて、店内をテキパキと動き回り、料理を注文すると、その内容を、テーブルに敷いた紙のクロスの上に書く。
野菜をふんだんに使ったプロヴァンス料理は、それまで思っていてフランス料理とは全然違って、とても軽やかな味だった。
朝になると、下の厨房から活気のある音が響いてきて、コーヒーの香りで目を覚ますのが至福だった。
私にとってその宿は、とても特別な場所。
だから、今回急に南仏旅行を思い立った時、あのホテルにもう一度泊まってみようと思いついたのだ。

とはいえ、20年も経っている。
まず、今もまだホテルとして営業しているのか定かではない。
第一私は、ホテルの名前も、その村の名前も忘れてしまっていた。
ほとんど諦めかけていた時、最後の最後に、あ、ここだ!というのを探してなんとか予約まではこぎつけたのだが、20年前の自分の感覚と今の感覚とは違っているだろうし、もしかしたら昔のいい記憶のまま留めておいた方がいいのだろうか、という迷いもあり、複雑な気持ちを抱えたまま、アンティーブからBiot へ向かったのだった。
ペンギンには、どこに泊まるのか秘密にしてあった。
けれど、村の中心へ行きかけた所で、あ、ここ来たことある、と言い出し、タクシーを降りる頃には、「シェパードのいるホテルだ!」と気づいたらしい。
さすがに私も十数年ぶりなので記憶が曖昧になっていたものの、宿のある広場に行ったら思い出した。
四角い広場を取り囲むように回廊になっていて、そこに宿のレストランのテーブルが並べられ、赤と白のテーブルクロスがかけられている。
テーブルの上には豪快に花が活けられていて、それがとても美しかったのを覚えている。

けれど、テーブルクロスはかけられているものの、花はなかった。
仕方ないよ、今は冬なんだから、と気を取直してドアを開けるも、開かない。
押しても、引いてもびくともしない。
やっているはずのレストランにも、人が誰もいない。
確かに、予約をしたのになぁ。
電話をかけてみたものの、部屋の中で鳴っているのが聞こえるだけで、誰も応答してくれない。
どういうこと!?!
真っ青になって途方に暮れていた時、宿の前に車が止まり、アジア人と思しき男性とフランス人の女性が出てきた。
そして、私たちが立っているドアの方へやってきて、フランス人女性が、「何かお困りですか?」と流暢な日本語で聞いた。
予約をしたのに誰もいなくて困っていると話したら、持っていた鍵で宿のドアを開けてくれたのである。
なんという幸運。
彼女の名は、ケイコさん。
一緒にいた男性は、哲学を専門とする東大名誉教授のK先生。
ケイコさんは日本に留学したことのあるフランス人のジャーナリストで、勉強会に来ていたK先生のサポートをしていた。
本当にたまたま、その日の宿の予約は日本人二組だけで、たまたま、私たちが宿に着くのとケイコさんたちが宿に着くのが同じタイミングだったということ。
もしどちらかの時間がちょっとでもずれていたら、私たちは訳もわからず、途方に暮れ続けていたことになる。
とにかく、宿に入れただけで、ラッキーだった。

ケイコさんの話によると、先週、宿のオーナーが亡くなったのだそうだ。
そう、ジャージをはいてテキパキと仕事をしていた、あのお父さん。
そしてシェパードもまた、去年、亡くなったのだという。
宿の方は宿の方で、日本人二組だから、てっきり、同じグループかと思って私たちが一緒に行動していると思ったらしい。
ただ、更なる悲劇は、その日の夜、レストランがやっていないということだった。

何が楽しみって、レストランで食事をするためにわざわざやって来たのだ。
今夜はレストランでおいしいプロヴァンス料理を堪能し、思い出に浸りながら宿の部屋で眠る、という確固たるイメージで旅を組んでいた。
それなのにそれなのに、レストランで食事ができないとは。
けれど、ガッカリしている場合ではない。
ここは小さな村で、食事ができる場所も少ない。
ケイコさんが、何軒か心当たりを調べてくれたのだが、どこも営業は夕方までで、近くで夜もやっているところは皆無だった。
簡単にタクシーが来てくれる場所でもないし、夜は雨の予報。
結局ペンギンと、テイクアウトのサラダとピザを買い、村の食材店で赤ワインを調達し、部屋に置いてあった薄いプラスチック製のコップでワインを飲むという、普段でもありえないような殺風景な食事になってしまった。
人生、そんなにうまくいかないものである、ということをしみじみ実感した。
宿の人が誰もいないホテルに取り残される、というのも初めての経験だった。

でも、朝はやって来る。
昨日の静けさとは打って変わって、厨房から賑やかな活気が伝わり、ふわりと漂うコーヒーの香りで目が冷めた。
下に降りていくと、村の近所の人たちが、親しげにクロワッサンを食べたりカフェオレを飲んだりしている。
そしてお昼になるのを待ち、偶然出会ったK先生とケイコさんと、4人でランチを食べた。
相変わらずおいしくて、昨日の寂しさが嘘のように吹き飛んでしまった。
やっぱり、この宿は私にとって、いや私たちにとって、特別な場所なのだということを再確認した。

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シェパードとお父さんの冥福を祈りながら、Biotを後にした。
今は、息子さんが跡を継いで、宿を守っているという。