ペンギンと暮らす

お仏壇

2017.04.13 Thu

時々、母が遊びに来る。
と感じているだけだけれど、そうとしか思えないことが何回かあった。
自分の存在をアピールするため、というか、おそらく私に褒められたいのだと理解しているのだけれど、よく、物を落とすのだ。しかも、ある決まった物を。

東京の家のトイレには、壁に小さな棚が取り付けてある。
そこには、ドイツで手作りされたちっちゃな木彫りの人形を3つ並べて置いているのだが、そのうちの雌鹿の人形だけ、立て続けに何度も下に落ちる、という事件が起きた。
最初は、ペンギンがいたずらでやっているのだと思って、落ちているたびに拾って同じ場所に戻しておいた。
でも、ある日ペンギンに確認したら、自分はやっていないという。

だって、どう考えてもおかしいのだ。
風で倒れることはありえないし、その場所から落下してもそこには落ちないよね、って場所に落っこちている。しかもいつも同じ、雌鹿なのだ。
不吉な予感がし、もしや私に何か悪いことが起こるお知らせだろうか、とも思ったのだが、ふと、母かもしれない、と思ったらすとんと納得した。
それで、難易度をじょじょに上げ、これは落とせないでしょう、という場所に置いてみたりしていた。
そんな時も、ほんの数時間のうちに雌鹿が落ちていることがあって、私は、母の仕業だとますます確信したのだった。

そのたびに、私は、すごいねー、と褒めることにしている。
亡くなってから気づいたが、母は私に褒められたかった。
愛されて、褒められて、認められたがっていたように思う。
そんな簡単なことにも気づかずに、母が生きている間は、不毛な闘いを続けていた。
そのことにもっと早く気づいていれば、もっと違った関係を築けていたに違いない。

私がベルリンに来ていることは、どう影響するのだろう、と思っていたら、着いて二日目の夜中に、いきなり物凄く大きな音がした。
ペンギンはすやすや寝てたけれど、私とゆりねは飛び起きた。
翌日起きると、ペンギンがテーブルに置いていたスマートフォンが床に落っこちていた。
「絶対に落ちるはずがない」とペンギン。確かに、落ちるはずがないんだけど、落ちていた。
やっぱり母だ、という結論に達した。
母は一度も海外旅行をしたことがなかったけれど、亡くなってから、海外まで遊びに来たのだろうか。

母が亡くなるまで、私は、一切、お仏壇とかお墓とか供養とか、そういうものに興味がなかった。
そういうのは、ある種無駄なことなんじゃないか、と考えていた。
けれど、そんな私が、今は毎朝、母のお仏壇にお線香とお茶を供え、手を合わせている。
まぁ、お仏壇と言っても、手作りの祭壇だけど。
窓辺に置いてあるので、ちょうど空に向かって手を合わせるのが、気持ちいいのだ。
そして、ご先祖様に感謝の気持ちを伝え、新参者の母をよろしくお願いします、とお願いする。
母の好物がある時は、それも一緒にお供えする。
母が生きている間はほとんど理解できず、水と油の関係だったけど、今は、常に一緒にいる実感がある。
うまく言えないが、ペットのような感覚だ。
そして、これもなかなか上手に伝えるのが難しいけれど、もしも母が犬だったら、私はどんな性格だろうが、うまくやれたような気がする。

一昨日も、夜中にいきなりゆりねが飛び起きて、ドアの方を見ながら、うー、うー、と唸っていた。
そういうことが、たまにある。
私には見えないものが、ゆりねには見えているのかもしれない。
「大丈夫だよ」と言ってそのまま寝たら、その後、母が夢に現れ、その夢はとても甘く優しい内容だった。
やっぱり、あれは母だったのだろうか。

誰だって、親孝行したいし、できれば親と仲良くしたいと思っている。
家族が助け合うのは理想だし、できればそうありたいと思うけれど、どうしてもそうできない人だっている。
そういうことを、国とか法律で、押し付けないでほしい。
家族には、いろんな形があるのだから。

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